歴史~先スペイン期とイスラームの流入

今回からフィリピンの歴史についてです。
その歴史は、多種多様な民族とカトリシズムによって織りなされてきました。

フィリピン諸島で最も古い民族は25,000~30,000年前に移住してきたネグリト族です。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。そして紀元前500年~紀元13世紀の間に移住してきた、マレー系民族です。

スペイン人来航直前の頃は、中国や東南アジアとの交易で栄えてイスラム教が広まりました。

ですがその当時、7,000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域では、統一した国家は形成されていなかったんです。

まだバラバラだったんですね。

そして、次々にやってくるヨーロッパの列強国に、東南アジアは続々と植民地化されていきます。

そんな中、スペイン艦隊が太平洋を横断し、メキシコから到来してきました。

続く

サン・フェルナンドのランタンフェスティバル

もうすぐクリスマスですね。
フィリピンではクリスマス・イヴの12月24日には、パンパンガ地方のサン・フェルナンドでランタンフェスティバルが行われています。

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主な催しは巨大なランタン(灯篭)パレードと様々なコンテストなど・・・

「パロル」と呼ばれる色鮮やかで巨大な紙製ランタンを、トラックやトラクターに乗せてパレードする12月のお祭りです。

クリスマス期間中は、こういったランタンがフィリピンのいたる所で販売され、その美しい明かりが名物となってたくさんの人が集まるようです。

きれいですね!こんなクリスマスも楽しそうです。

世界最小のサル


フィリピンメガネザルの「ターシャ」です。


ターシャはフィリピン中部にあるボホール島に生息しています。


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世界中でこの一帯にしか生息していないんです。

体重はわずか100グラム。

お菓子みたいな重さですね。

手のひらに乗るくらい小さいそうですが、そのジャンプ力はものすごく、

木から木へ3メートルも飛ぶが出来るそうです。

この島の住民たちはターシャを「神の使い」として、昔から大切に守ってきたそうです。

日本で言う白蛇のようなかんじでしょうか。


フィリピンの国章 その1

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フィリピンの国章は、1946年の独立時に決定しました!おめでとう!
盾の真ん中にフィリピンの国旗同様、フィリピンのシンボルである「八つの光線を放つ黄色い太陽」が描かれています。

八つの光線は、フィリピン独立革命時に最初に植民地支配に対し立ちあがり、植民地総督による戒厳令を出された八つの州を象徴しています。

三つの五芒星は、フィリピンの三大地方であるルソン島、ヴィサヤ諸島、ミンダナオ島を表現。
盾の左下の青い部分にはアメリカ合衆国の鷲が、右下の赤い部分にはスペインの立ち上がる獅子が描かれていて、それぞれフィリピンの植民地の歴史を象徴しているそうです。
歴史がどうだったのかが、暗号みたいな感じに分かり面白いですね。

これらのデザインは、アメリカ統治下のフィリピン・コモンウェルス政府(独立準備政府)により1940年に決定した短い間使われた国章に似ているそうです。

フィリピンの国旗

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フィリピンの国旗は4つの色からなる国旗です。
青は理想、赤は勇気、白は平和・平等を象徴し、黄色い太陽は自由の意味合いを持っています。
3つの星は主要な島であるルソン島・ミンダナオ島・ビサヤ島を象徴しています。

太陽から生じる8つの光は、スペインとの戦争時に初めに武器をとった8州を表現している。
戦争の時には天地を逆にし、国民の勇気の象徴を強くかざすという他の国旗にはなかなか見られない特徴を持っています。国民の勇気が凄そうですね!

この国旗はしばらくの間、アメリカ合衆国占領時の11年間、1919年10月30日まで揚げるのが禁止されたいたそう。そうだったんですね・・・11年間もよく頑張ったんですね(><)

プエルト・プリンセサ地底河川国立公園

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プエルト・プリンセサ地底河川国立公園は、フィリピン諸島の南西にあるパラワン島の洞窟内に流れる地底河川を擁護する目的で指定された国立公園です。
州都プエルト・プリンセサからは北へ50kmほどの場所にあります。少し遠いですね。
1999年にユネスコの世界遺産に登録されました。おめでとう!

プエルト・プリンセサ地底河川は、パラワン島のセント・ポール山地の鍾乳洞内を流れる川です。
この川の流れる鍾乳洞は海に繋がっているのです。素敵ですよ。
その為に川の下流部分は潮の干満の影響で、独自の生態系を成しているのです。

トゥバタハ岩礁海中公園

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トゥバタハ岩礁海中公園は、フィリピン諸島の南西にあるパラワン島の東の岩礁と珊瑚礁を保護する目的で設置された海中公園。1993年、フィリピン初のユネスコの世界遺産に登録されました。おめでとう!

トゥバタハ岩礁海中公園は、2つの岩礁と大きな珊瑚礁から形作られていますあ。
珊瑚礁は、東南アジア最大とも言われていて、とても巨大です。
カツオドリや、海亀など海洋動植物の宝庫でもあるんですよ~。

近年は、ダイナマイトを使用した漁法が行われているんですが・・・この為、珊瑚礁への破壊が心配されていて、環境保全対策が急がれています。
普通に考えてダイナマイトを使ったら珊瑚まで破壊してしまう事は、分かると思いますが・・・。

ちなみに・・・

地元の郷土史家ダマソ・キング(Damaso King)によると、太平洋戦争中、アメリカ軍は旧日本軍の侵攻に対抗して、ビガン(Vigan)を砲撃しようとしていた。しかしながら、「もうこの街周辺には日本軍兵士はいないから…」とクレカンフ司教(Fr. Joseph Klecamf, The Parish Priest of Vigan)が、米軍に確約をしたため、この砲撃は取りやめになった。クレカンフ司教は、二人の日本人将校「高橋フジロウとナリオカ・サカエ」から、「現地で結婚した私たち日本兵士達は愛する家族を残して敗走するので、戦争によってこの美しい街が爆撃・破壊・略奪されることのないようお願いします。」と懇願された。1943年に憲兵隊長として赴任してきた高橋大尉はアデラ・トレンティーノ(Adela Tolentino)というフィリピン女性と、ナリオカ将校は、ベレン・カスティーリョ(Belen Castillo)という女性と結婚していた。また、地元イロコス州知事のDV.サベリャーノ(Savellano)は、「したがって、ビガンの街は、彼ら日本人の「愛」によって救われたのです。」とも熱弁している。 

2003年の毎日新聞の特集取材によると、「高橋大尉一家は戦後しばらくアデラさんの故郷で暮らしていたが、その後引っ越した。2年前、大尉の娘がビガンに来たと聞いたフロレンティノさんは滞在先を訪ねたが、娘は去った後だった。風のうわさにアデラさんは既に亡く、2人の娘が今、マニラに暮らしていると聞いた。家族が平和に暮らした時代の思い出をたどるために娘がひそかに街を訪ねたのだろう。」と元ビガン市長秘書官のアントニオ・フロレンティノさんから聞いている。

その一方、日本軍の侵攻がなければビガンが危険にさらされることもなく、またマニラなどの歴史的遺産は侵攻の結果破壊されてしまったという事実は否定できない

ビガン歴史都市

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ビガン歴史都市(-れきしとし)は、フィリピン、ルソン島の北部にあるビガンの街並みが登録されているユネスコの世界遺産
ビガンは、ルソン島のマニラの北、約400kmにある都市。16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄えた。スペイン統治時代の街の名前は、シウダー・フェルナンディナ (Ciudad Fernandina) 。このころ築かれたユニークな街並みは、スペイン、中国、ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。マニラやセブにも同様の街並みが存在したが、太平洋戦争時、ビガンの街並みだけは奇跡的に戦渦を逃れた。

フィリピン・コルディリェーラの棚田群

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フィリピン・コルディリェーラの棚田群(-たなだぐん)は、フィリピンのルソン島北部の中央山岳地帯の主に東斜面に広がっている棚田地帯。棚田の規模としては、世界最大ともいわれている。1995年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。


フィリピンのルソン島の北部中央に広がるコルディレラは、標高が1,000を越える峰々が多数存在する。コルディレラは、スペイン語で山脈。この山域でもバギオという街は、避暑地として有名である。このバギオの東北にあるバナウェでは、大規模な棚田を見ることができる。また、バダットやボントックも大規模な棚田が広がっている。コルディリェーラの棚田は、天国へ昇る階段とも比喩される。棚田の総延長は20,000kmを越えるとも言われている。また、1995年にユネスコの世界遺産に登録された際は、日本の棚田保護政策のきっかけになったともいわれている。

近年は、耕作放棄された田や、水の流れを無視した住居の建築も増え、景観の維持が課題となっている。これを踏まえ、2001年にユネスコの世界遺産の危機遺産へも登録されている。

コルディリェーラの棚田は、山岳民族のイフガオ族などが紀元前1000年~紀元前100年から造成しはじめたといわれている。一部、水牛なども使われたようだが、ほとんどが手作業である。

ボントックには、民族博物館がある。